トレーニングの原点は高校時代

僕は高校時代によく走りました。走るののが練習の中心でした。
走りの基礎が出来ていなければ、どの競技をやってもうまくいきません。
はしりの 基礎を身につけたことでいろいろな競技に生かすことができています。こういうトレーニングは年齢を重ねてもプラスになっています。今でも僕は良く走ります。そんな僕のトレーニングは間違いなく高校時代にあります。そのころは目標を毎年決めて、それを目指して練習をしていました。目標をはっきりさせることはとても重要だと思います。それも現実味のある目標じゃないとダメですね。杢保湯が明確になっていると、それを実現させるために、今何をすべきかはっきりしてきます。目標を持っことはどんなスポーツでも武道でも大切なことだと思います。
指導者の方には、練習について選手たちにしっかり説明してほしいですね。例えば、空手の形をやるのは何のためなのか、これをやることで何が身につくのか、どこを注意して行えばいいのか、といったことを伝えてほしいと思います。
与えれたメニューを、何も考えずにこなしているだけでは、効果的な練習にはなりません。
今は空手をやっていますが、そいった意味でもとても参考になっているのが松濤館流の國分利人監修の空手最速上達法です。

どんな練習をするときでも、選手がその練習をする意味を理解していることが大切です。そのあたりもしっかり教えてくれます。
僕がいた高校で指導してくれた先生の練習には、なぜこれをやるのかという理由が必ずありました。また、僕たちが質問すれば、いつでも丁寧に説明してもらうことができたのです。練習について考える習慣が持てたことは、僕にとっては貴重でした。そうい習慣がつくと、同じ練習をしていても、効果が違ってくると思いますよ。
高校時代は、何かひとつのこと、空手だったらそれに打ち込むだけで十分だと思うんですよ。そこで忘れてほしくないのが自分が空手をやるとか、練習がきついとかいのは、自分の目的にためにやっていることで、それにぶちあたるつらさは、イコール幸せなんだということです。